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1.隠れた軽井沢物語
【 馬子歌 】
「軽井沢宿」、「沓掛宿」、「追分宿」は、浅間根越し(ねごし)の三宿といわれていました。現在は、それぞれ、「旧軽井沢」、「中軽井沢」、「信濃追分」と呼ばれています。
江戸時代、馬による交通が盛んであったことから、馬子唄が生まれ、いつしか、全国に知れわたっていきました。そんなところから、一説によれば、「しなの追分馬子唄」は、全国各地の追分唄の元祖といわれております。
元祖であれば、町民こぞってハヤシたてそうな気がするのですが、信濃追分は軽井沢町の西はずれに位置することから、町内でも、何となく、違和感のあるお祭として感じられているのかもしれません。東の旧軽井沢地域はリゾート客のメッカですから。我が国最古のルーツの唄かもしれないというのに。
【 軽井沢町と御代田町 】
軽井沢の地名は、「枯れた沢」から発生したという説があります。沢が枯れれば、田んぼはできません。そこから高地に至る地域では、畑となります。
このような耕作上の都合から、全国の軽井沢の地名の近くには、田代や代田、畑代、代畑などの地名が寄り添っている例が多いと聞きました。
ここ、信州の軽井沢町の西隣の町は、「御代田(みよた)」といいます。龍神祭りで有名な町です。古来から水の重要さを知っている人々が定住生活をしていたのでしょう。二つの町は、水が取り持つ兄弟町と言えそうです。
【 軽井さわと軽井ざわ 】
軽井沢の地名は、「枯れた沢」から発生したという説があります。沢が枯れれば、田んぼはできません。そこから高地に至る地域では、畑となります。
このような耕作上の都合から、全国の軽井沢の地名の近くには、田代や代田、畑代、代畑などの地名が寄り添っている例が多いと聞きました。
ここ、信州の軽井沢町の西隣の町は、「御代田(みよた)」といいます。龍神祭りで有名な町です。古来から水の重要さを知っている人々が定住生活をしていたのでしょう。二つの町は、水が取り持つ兄弟町と言えそうです。
【 軽井沢の温泉 】
軽井沢には、温泉が、10井戸くらいあると言われております。別荘に引き込まれている温泉もありますし、「日帰り客お断り」をかたくなに守っている温泉もあります。
結構あるのにいがいと知られていない温泉王国です。国際リゾート地・軽井沢の大看板で隠れて見えない素顔です。
「Karuizawa温泉巡りツアー」などは、高齢化社会を迎えた、オフシーズンには、もってこいの企画と思っているのですが。
【 軽井沢の水道水 】
軽井沢は高地です。周りには、軽井沢よりも標高の高い地域はありません。ですから、地表面を流れる水(つまり、川や泉)は少なく、飲料水は、井戸で汲み上げるしか確保する方法がありません。
高地ですから、井戸も数百メートルの深さです。しかも、何本も掘削されて、夏のピークに備えております。伊豆七島の水の貴重さは、理解できるのですが、軽井沢でも、結構、手間のかかった水を飲んでいるのです。
【 花ひょうたん木(ハナヒョウタンボク) 】
氷河期の名残で、隔離分布している植物があるそうです。
隔離分布とは、桜前線のように、連続して桜の植生が分布しているのではなく、例えば、天然に育っている植物が、岩手県の早池峰山の頂上と、富士山の頂上と軽井沢の町内というように、点々と分布していることを言います。
「花ひょうたん木」は、そんな隔離分布の典型例だそうです。たしか、明治か大正の頃に分った、氷河期の生き残り植物の物語でした。
【 人口増 】
軽井沢は、地方都市には珍しく、人口増が激しいようです。新幹線効果、アウトレット効果、などなど色々言われております。
軽井沢にとっては、従来の住民と別荘客との意識格差に加え、新住民と旧住民の意識格差も、生まれてきそうです。
従来、このような格差が、町の充実発展の原動力になっていたのかもしれません。もし、定住民だけでしたら、家屋敷の周りの林を育てて維持する別荘客がいないことになり、どこにでもある普通の田舎町となっていたでしょうから。
その意味では、箱型コンクリ住宅、マンションブームは、屋敷周りに林のない、普通の田舎町の始まりの予兆かもしれません。
【 新幹線料金と節約時間 】
新幹線開通(平成9年秋)以前は、首都圏から特急列車が30分おきにでて110分かかっていました。その後、60分おきの新幹線となって所要時間、約70分です。
「思い立ったら軽井沢」の見方で計算すると、所要時間に間隔時間の半分を加えた時間数で比較するのがいいかと思います。そうなりますと、以前は140分、今は100分です。30%の時間節約です。30、40分程度を新幹線料金で買ったことになります。
おカネの使い方としては、効果的でしたか、それとも、無駄遣いでしたか。人それぞれの思いがありますね。
でも、東京駅始発はありがたいです。いっそのこと、現在、羽田近くにある新幹線整備場への引込み線を、少しだけ延伸して、羽田空港ビル下まで、いけるといいのですが。ちょうど、ガーラ湯沢駅のように。
【 夏時間 】
軽井沢は、夏時間があります。午前4時から、午後8時までが就業時間とする方が多いようです。実に、16時間の仕事です。でも、冬には、ぱったり仕事がなくなります。冬時間は冬眠となります。
江戸時代以来の宿場として栄えた関係上、日々、営々と同じ就業体制を維持する気質は、似つかわしくなかったのかもしれません。
明治時代に、当時の営林署が植林のための要員を募集しても集まらなかったそうです。当時の世相からすれば、とても珍しい人手不足です。そこで、軽井沢在住者以外の方の募集で、何とか植林をしたのだそうです。
別荘として栄える以前から、この地域には季節変動のない仕事に重きを置かない地域気質が定着していたのかもしれません。
【 縄文時代の町の評判 】
軽井沢町の東地域、旧軽井沢は、100年以上前に、英国人によって、別荘地としての名声が高まり、別荘地域となりました。軽井沢町の反対側のはずれの南西地域には、縄文人の遺跡が結構あります。
町の東西で、時間的なズレはあるものの、過しやすさでは、定評のある軽井沢。縄文人の間では、結構有名だったのかもしれません。
軽井沢から数十キロメートル離れた、長野県内で出土する黒曜石(縄文人のナイフの素材にもなる)は、遠く、北海道でも見つかるそうです。ナイフとともに、軽井沢情報が、karuizawa.orgと同様に情報伝播していたのかもしれません。